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昭和のジュリー 前編

11/23(木)秋分の日に行なわれる“ゆきたくみ”の「ありえな~い昭和歌謡」ライブにちなんで、昭和歌謡の代表の一人、沢田研二のディスコグラフィを個人的な思い出とともにざっと振り返ってみます。

ソロデビュー曲は1971年11月1日リリースの「君をのせて」ですが、リアルタイムでは記憶がないので、僕にとっての初ジュリーのこの曲から

危険なふたり(1973年4月21日リリース。6枚目のシングル。安井かずみ作詞、加瀬邦彦作曲、東海林修編曲)

♪年上のひと、う・つ・く・し・すぎ~る、アーアーそれでも愛しているのに~♪まだ小学生低学年だったのに、「年上のひと、美しすぎる」のフレーズが妙に頭に残っていたマセがきでした(はずかしい)。その頃はタイガースもPYGの存在も知らなかった。

胸いっぱいの悲しみ(1973年8月10日リリース。安井かずみ作詞、加瀬邦彦作曲、Harry Robinson 編曲)

♪これでもぉ~、逢えない~と~、あなたのひとみに~、こらえた、なみだを、みたとき、僕にはなに~もでき~な~くて~~~♪僕の好きなジュリースローテンポ曲。この曲は正統派オールディーズのかおりがプンプン。しかし'50年代の海外ポップスに詳しくないので、本当にオールディーズっぽいのかはわからず、雰囲気で言ってしまっている(汗)詳しい方にご教示いただきたいところ。なんか、とても似た曲を聴いたことがある気もする…

追憶(1974年7月10日リリース。安井かずみ作詞、加瀬邦彦作曲、東海林修編曲)

♪オー、ニーナ、忘れられない~、許して、尽くして、そばにい~て~、オー、ニーナ、もし今なら~、おまえを、二度とは、悲し、ま、せ、な、い~、オー、ニーナ♪これでもかとニーナを連発!全国のニーナさん、これはあなたのためにジュリーが歌ってます!

レコードでの演奏は井上堯之バンドではなくケニー・ウッド・オーケストラ(作曲家、森岡賢一郎率いる楽団)

時の過ぎゆくままに(1975年8月21日リリース。阿久悠作詞、大野克夫作曲、大野克夫編曲)

♪ときのぉ過ぎゆくまま~この身をまかせぇ~~♪なんかスローテンポで歌い上げる曲が好きです、ジュリーの曲の中では。あとはイントロの井上堯之の泣きのギターが堪らないっ。

Wikipediaによると、この曲は挿入歌としてドラマ「悪魔のようなあいつ」に使われたそうです。主演は沢田研二で三億円事件の犯人役を演じており、演出は久世光彦。見てみたかったなぁ。阿久悠の作詞がすでにあって、作曲を大野克夫、井上堯之、井上大輔、加瀬邦彦、荒木一郎、都倉俊一、6人によって競作。久世光彦が最終的に大野克夫の曲を選んだそうです。岸部修三(翌'76年一徳に改名)がプロベーシストとして最後の参加。

コバルトの季節の中で(1976年9月10日リリース。小谷夏〈久世光彦変名〉作詞、沢田研二作曲、船山元紀編曲)

♪しあわせの手ざわりが、今とても懐かしく、足早に過ぎていく、この秋の中で、あなたを見失いたくないのです♪ジュリーというと、どうしても'80年代のザ・ベストテンでのヒット曲連発の印象が強い。基本、彼の曲はド派手でアップテンポなものという印象が自分にはありました。今回あらためて彼のディスコグラフィを振り返ると、初期には僕の好きなスローテンポ曲が結構あることに気づかされました。この曲もそのひとつ。

勝手にしやがれ(1977年5月21日リリース。阿久悠作詞、大野克夫作曲、船山元紀編曲)

♪せめて~少しはカッコつけさせてくれ、寝たふりしてる間に出ていってくれ~アーアー、アーアー、で帽子を投げたのは言うまでもない(笑)

前編おわり、後編は‘70年代終盤から昭和終焉の’88年までの約10年間を振り返ります。

マツカン ジュリー

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