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4月になれば彼女は

はじめてダスティン・ホフマンの「卒業」を見たのは10歳ぐらいの子供の頃だった

当然TVである

ふたしかだけど、春休みなどの平日の午後だったのではないだろうか

なんだ、これは

うつくしい歌がたくさん流れる

小学生のボクには英語はわからない (いまもわからないけど、笑)

流麗な旋律(メロディ)優美な和声(ハーモニー)がボクの心をわしづかみにする

その歌の美しさとストーリーのリアリズムの乖離が今思えば、幼いボクの心をとらえて離さない不思議な感触だったのだと思う

それから何十年もたって、あらためて、ボクの心をとらえた数々の曲のうちのひとつ 「4月になれば彼女は」 / “April come she will”の歌詞を読んでみると、、、

歌詞も美しかった

April~will May~stay June~tune July~fly August~must September~remember

と、、、きれいに韻を踏みながら愛する女性がこの世からいなくなり、そして今彼女のことを思い描いている様子をたった2分足らずの歌で表現している

詩だけを見るとあまりにもむごい結末だけど 美しい旋律に乗せることによって 歌の主人公が彼女をrememberするのは、ただ、悲しんでいるのではなく、彼なりの希望をもってrememberしているのではないかと深読みしてしまう

悲しみの真っ最中にはひとからどんなに元気を出せよとか、きっとそのうち良いこともあるさとか言われても聞く耳を持てない 心を閉ざしてしまう 人と関わりたくなくなる

でも、時が過ぎると自分自身の気持ちが、考え方が、そして思いが、変わっていくことに気づかされる

そして悲しみの渦中声をかけてくれた人がどんなに自分のことを気にかけて、そして、大切にしてくれたことか今更になって気づく

あのときそんな好意にたいして、ひどい行為をしたことを後悔する

けれど、それは仕方のないことなのかもしれない

許してくれる人は許してくれるし そうでない場合は友情はそれきりかもしれない

全部、結局は、自分に返ってくる

そのような繰り返しの中で自分なりに成長していっているのかもしれないと はなはだ心許ないけど、自分に言い聞かせている

人生には悲しいことは数限りなくいっぱいある

でもそれで絶望したらそれっきり

希望を、わずかな希望を、たぐり寄せればいつの日か目の前は開けるんだと思う

April come she will When streams are ripe and swelled with rain; May, she will stay, Resting in my arms again

June, she’ll change her tune, In restless walks she’ll prowl the night; July, she will fly And give no warning to her flight.

August, die she must, The autumn winds blow chilly and cold; September I’ll remember. A love once new has now grown old.

4月になれば彼女は…… 川の流れが満ち、雨に潤う頃

5月彼女はまだそばにいてくれるだろう 僕の腕の中でまた安らいでいる

6月彼女の様子が変わってしまうだろう 落ち着かずそわそわと歩き、夜にあちこちうろつく

7月彼女は天に召される 何の前触れもなく

8月彼女は確かに死んだんだ 秋の風が失意の中冷たく吹いていく

9月僕は思い出すだろう かつてみずみずしかったあの愛が、やがてセピア色になっていくことを

映画「卒業」 マツカン マツモト管楽器工房

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